第8回ブログ担当の木村です。
いま、わたくし、電車に揺られながら猛烈に汗をかいております。
ヒートテック着て腹巻してタイツ履いて裏起毛のアウターも羽織って仕上げにマフラー投入、これからどんな雪山にも挑める心持ちで家を出たものの、電車の暖房設備の存在を忘れていました🥺
毎年、12月といえば寒すぎて死ぬ、みたいなイメージでこちとらやっているので、まさかこんなにあったかいだなんて思わないじゃないですか。
そうですみなさん、もう12月、師走です。
この1ヶ月間は今年を振り返ってはいろいろと思い返す日々になりそうですね。
それでは最後にご唱和ください。せーのっ
\\着込みすぎ//
前置きが高校時代の校長先生並みに長くなりましたが、専門ゼミのお話に参りましょう。
今回の専門ゼミはミニ卒論に向けた先生との懇談会と、途中で時間がなくなってしまいましたが5班の教科書発表の二本立てでした。
まずは教科書発表について触れていきましょう。
信頼の構造-こころと社会の心理ゲーム-
いよいよクライマックスを迎えようとしています。
第1章から第7章まで、ゼミメンバーでタスキをつなぐかのごとく、前回の内容を踏まえ踏まえレジュメにまとめて発表する…
そこには各班の、発表準備からの様々なドラマが詰まっていると言っても過言ではないと言いたいです。
3章から教科書発表において度々登場した
“信頼の解き放ち理論”
第6章では、この信頼の解き放ち理論を再検討し理論的なミッリング・リンク(カタカナにしたら急にかっこよい)が存在する事を明らかにしています。
このミッシング・リンクとして、
社会的不確実性と機械コストがともに大きな環境で、人々がいかにして自分にとって有利な特性である一般的信頼を身につけるのか
というものがあげられます。
この2つの環境はいずれも信頼を必要とし、他者についての情報なしに行う他者一般の信頼性に対する評定であるのが一般的信頼でしたね。
このミッシング・リンクを説明するのに何をするか。この解決策を見て私は涙がほろりほろり流れそうでした。
そうです、解決策としてあげられた実験たちはすべて第1章でほんの少し触れた部分であったのですね。(第1章は自分の班が担当しましたおもひでの章)
これらの結果から、
人を信頼するかいなか判断するとき、またはそこに自分の得る利益が変わってくる状況で、
高信頼者は相手の信頼性やその欠如に適切に反応、一方で低信頼者は同じ情報に鈍感な上に決めつける、ということがわかりました。
人を信じやすい人は、その分相手のことについてじっくり観察、じっくり判断して信頼するのか決めているのですね。そういう友達、周りにいるな、なんて思いを馳せながら…
ここまでで、高信頼者は低信頼者よりも社会的認知が高いことが明らかになったわけですが、そもそもそれはなぜなのか??
…と盛り上がったところで今回は終わってしまいました。次回が待ち遠しすぎますが、なんと我らが福留くんのブログの回にて続きが読めるのでお楽しみに😊
この教科書発表の前に先生からミニ卒論に向けてのご指導がありました。
ざっくりばっさりかいつまむと、右手の指で鼻の中に指をつっこむ人がいる中、少数の人が左手の指で同じくつっこむ人がいてそれはなぜなんだ~~
という状態が今の私たちのミニ卒論での進度らしいのです。
なんともわかりやすい例えでびっくり仰天しましたが、つまりまだまだ詰めきれてない、ということでしょう(?)
そのために、次回までの課題として取り上げたミニ卒論のテーマについての仮説を立てることを仰せつかりました。
少しずつ作りあげていきましょう!
また来週~