全力片思い

先週の土曜日に、表情模倣の遠征実験(先月長野大学で実施)を終えた4年みちみちと3年モカちゃんのお疲れ様会と、サバ師匠(まだ26らしいけど)や戦友を呼んで、OBOGたちとの交流会を企画しました。今回はこじんまりと遠征実験経験者に絞った交流会に。

こうみえて、私いろいろと傍から見るとすごくうまくいっていたり、初年次教育や研究のチャンスが舞い込んできたり、頼りにされてるんだけど、全く気持ちが乗らんって私の愚痴や今後の展開を師匠や戦友たちに聞いてほしかった会でもあった。そして、今頑張っている現役生をOBたちにかわいがってねという託す会でもあった。

今は、教員はいろいろな評価にさらされながら(もちろん学生評価も)、悪い評判を得ないようにというストラテジーを取っていて、もちろん私も、うまく(ごまかしながら)いい教員を演じている。そして、ごまかしが総じて、たぶん一部の学生からはいい評価も得てきているんだろうけど、かえって、うっぷんだらけで、私らしくなくて、もやもやしていて、だから、前を向けなかった。

サバ師匠曰く、昔の私は、学生に対して”全力片思い”だったと。

その一方向の全力は、たぶん私にも言い訳があって、原石を輝かせて見せるっていう自信もあったからこその全力だったと思う。失敗してもいいから、学生からどう思われてもいいから、自分がこうだとおもえたことをぶつけることができた時代でもあったんだと思う。それこそ、評価も気にせず、うまくいくことを最大に考えることができるストラテジーを取っていたから、片思いで傷ついても教員が立ち上がれた時代だった思う。

…という”時代”を言い訳をする自分も嫌だなぁと日々思う。そして、その交流会後ずっと心に引っかかっていて…

でも、このまんま置きにいったストレートを投げ込み続ける教育してたら、きっと人生うまくいくと思うのだけど(私は器用なのだ)、末席の弟子だという片思いを持ちきれなくなってしまうと危機感が募る。私は大学院の恩師の末席の弟子でいたいという気持ちすら片思いなんだし、もう伝えることもできないんだけど、教育というベクトルだけであったも弟子だったと偽りなく思っていたい。その片思いを持ち続けることが、自身アイデンティティでもあり自分の進むべき道なんだと本当に思う。

だから、昔のように学生に対して全力で片思いできるか。いろいろなしがらみを、いろいろな政治的なことを優先するんじゃなくて、どれだけ全力になれるか。頑張ってみるよ。さんくすサバさん。

今回急遽これなかった戦友と語り会いたいです。あまりの変化にあれまーと。

この日、午前中、みちみちとモカちゃんに、そしてサバ師匠に、タクマいっぱい遊んでもらいました。オープンキャンパスだったのですが、みちみちがタクマの面倒を見てくれて助かりました。ありがとう!何度もウルトラマンタロウの怪獣役を担ってくれました。ありがとうです