
3年前、四十にして惑わずという論語の一節を借りて、自分自身がこれから教員としてどのように進んでいきたいかを書き綴りました。そして、毎年、自身の誕生日を機に、これまでの1年をまとめ、今年の1年の抱負を語るということを恒例にしていきたいと思っていました。ただ、こういった吐露をブログやFacebookに綴る時代が終焉したとも感じていたけど。。。今日(誕生日から5日過ぎてます)、土曜日の卒論ゼミで4年生からサプライズでハッピ-バースデーを歌ってくれて、誕生日を祝ってくれて、照れもあるけど、ちゃんと気持ちや決意を書き綴ることに意味があるように思えました。
6月に入り、私自身の頭は卒論へ向かい、来週へのオープンキャンパスの人選、6月中旬からの実験のことで今日はしょっぱなから指導モード全開でした。3年前の1期生が合宿で誕生日サプライズのために苦労したように、今日の4年生も、何も気づかず指導モードの私にちょっと苦労したみたい。ケーキを外で用意してくれていた学生を遅刻だと思い、いつ来るの(ちょい怒)?みたいな感じだったみたいで、教室にいる学生は大変だったと思います。本当に驚きました。ありがとう。
31日に3年生のゼミ生にもゼミ開始時にプレゼントをいただきました。獺祭です。酒好きがばれてんでしょうね。で、今その獺祭を飲みながら、今日4年からいただいた足マッサージ機を強にして、10-FEETのライブDVD聞きながら、ちゃんと気持ちを書こうと思います。何が言いたいかというと気持ちよく幸せです。
今日は照れもあったので、全力で43才のおじさんが、痛々しい姿をさらして笑いを取るということに専念しました。人生初ですよ、実はこんな襷。めっちゃ笑顔ですが…人生初ですよ、「しげたん」。昨年の誕生日、Iし井さんに目撃されましたが、自分でケーキを買った時に書いてもらったのは「しげちゃん」です。
ちゃんと「しげたん」チョコいただきましたが、その写真。どっかのジョンウィルに似てるかもです。サングラスは4年生に昨年祝ってもらったときのもの残していました。本当にありがとうね。
で、急展開ですが、話を戻します。
四十路になって、毎年毎年が激動のように変介していく。うまくいく部分、うまくいかなくなった部分、諦めてしまいそうになってる部分。
この数年は、自分にさまざまな言い訳を言い聞かせて、なんとか行動を維持する形が多くなってきて、さまざまな学科や大学の事情、そしてさまざまな家庭の事情を理由に、自分らしく振舞えていない。そんな自分に慢性的なネガティブなものがのしかかっている。このままで自分はいいんだろうかと。
大学における年齢的な役割の変化という自分を納得させる答えもある。家に帰れば子どもの屈託ない笑顔と私の睡眠時間を削ってくれる子どものありがたさという答えもある。
でも、そういった悩みやそういった抑制は、ダイレクトに学生にも伝わってしまうことも事実。だから、だから最近の学生、つまり私のことをあまり知らない学年とは、表面的な関係になってしまっているんだと思う。私が忌み嫌っていたようになってしまっていて、本当に向き合っているといえるのかという自問自答を繰り替えしてしまうことになってしまう。
ただ、ありがたいことに、こんな私にダメだとたきつけてくれる存在がいること。後輩やOBOGがいてくれること、私の愚痴を聞いてくれて、ダメだと叱ってくれる。だから、年や役割の変化や求められることに合わせることに慣れちゃーいけいない。
孔子さんは四十になったら、いろんなものが統合出来て迷わなくなるよと言ってくれた。だから毎年、迷いが減って邁進してますって書き綴っていけるんだろうと思ってた。ただ、違う。違っていいんだと思う。
この仕事に就いた意味。ここにいる意味。
連休にはっしーが発してくれた質問。これまで言ってきたように、今も学生を原石と信じて行動していますか?
先週OBOG飲み会でおかみが発してくれた感想。ほんと辛いときは、先生のこと嫌いでしたから…でもわかっていたんですよ
OBOG飲み会でサバちゃんが私の状態をまとめてくれたこと。先生の方が心開いていないですよね。私たちの時は一緒に取り組んでくれてましたよ。
5月に入り、3連発で本質を突かれて、右往左往してたけど、本当に向き合いながら考え続けた。で今日、あらためて、43にして思うこと。
私は迷い続ける。そこにしか答えがないような気がする。迷っていることをちゃんと学生と共有しようとし続けること。あがき、もがき、最前線であきらめつづけないこと。へんな納得はいらない。原石だと思って輝ける場所をつくり、機会を提供すること。
何度もこんなことをいう。いや違う。言い続けることに、傷つきながらでも、向き合って一緒に取り組んでいくことに、意味がある。答えはなくていい。意味があれば。昔から言ってたこと。結果はどうでもいい。過程にこそ意味がある。そう過程に。
まぁ、見ててください。後輩よ、OBOGよ。
で、来年の今頃、四十にして言い訳するとならないように。。。
そのために、まぁ、助けてフォローしてください。後輩よ。OBOGよ。
思いっきり、助けて―と言うのが43になって思うこと。
↑ジュニア頑張れOBOG会。いつもの兄のお店で。
↓今日はありがとうね。