その向こうに一瞬だけ 

久しぶりに長く語りたい。再スタートのために。である調での投稿。先週に卒論口述発表と3年ゼミポスター発表会を終え、大学近くの串猿にて打ち上げをした。打ち上げの参加率は一つのバロメータ。発表したほとんどの学生が参加したと言っていいぐらい。単純に嬉しかった。こういう時間が大切だと口を酸っぱくしていってきたから…最初は軽くと思って、私が幹事をしていたけど、30分も経つと私が理想としていた世界が広がっていた。3年も4年も飲んで語って、それぞれの想いを語ったり、バカ話を繰り返したり、趣味が一緒だからと盛り上がったりと、本当にいい感じだった。本当に精一杯頑張った後だからくる充実感。精一杯頑張ったけどうまくいかなくて抱える苦悩。それらが混りあう。頑張ったからこそできる支えの時間。本気で向き合ったからできるアドバイス。

本当に”引かなくて”よかったと思えた時間だった。とことん飲んで私も本気で語ろうと思った。

私の飲み会は、長野大学時代に稲木先生が行ったいた方法を模倣している。それは時間をとって学生がスピーチする時間を設けること。ただ飲むのではなく、それぞれがみんなに向けて語る時間を設ける。今回も4年生のまとめのスピーチ、3年生の抱負のスピーチ。笑いあり、涙あり、決意あり…本当にいい時間になる。

最後に私がみんなに向けて語ろうとしたら、恥ずかしながら、うまくバランスが取れなくなってしまった。うれし涙とも違った、緊張がほどけ時に止まらなくなるものだった。ここまでの号泣は初めてかもしれない。この日を迎えるまで、自問自答の毎日だった。人生でこんなに自問自答したことがない。私のやり方は間違っているのでは?こんな方法はよくないと突かれているような針のむしろだった。悩みに悩んだ。これでいいのかと不安になる自分を抑え込んでの1年間だったと思う。不幸なこともいっぱい起こった。でも、引いたらダメだと言い聞かせる自分がいた。それを分かってくれれて、ベストを尽くす学生がいてくれた。

むかしむかし、大学院時代も辛いことがあり、病みそうになったこともある。今もそういう職業だし、研究も教育も自身の評価がダイレクトなのでつぶれそうになる。大学院時代は後輩に恵まれ、温泉に助けられた。札幌から50分程度の豊平峡温泉。源泉かけ流しで12時まで空いている。週3ペースで車でひそかに通ったから助かったこともある。今は妻の支え。仏教の長島先生がニヤニヤするが、本当に弱い自分を理解してくれた上での客観的なアドバイスをくれ、私が追い込まれれば追い込まれるほど本当にフォローしてくれる。そして、音楽。10-feetがなければ、あんなにライブで勇気をもらっていなければ、病んでいた。というぐらい、ギリギリのラインで自身を鼓舞して学生と向き合ってきた。不器用だと思う。2年前まで、No life, No musicなんて言われても、はあ?という感覚だったが、どれぐらい助けられ勇気づけられてきたか。10-feetと出会っていなければ、たぶん病んでいた。それぐらい、厄年の私に降りかかるものは大きくつらいものだった。8月のロッキン。投稿したが「引いたらあかんって思う所は絶対に意地でも引くな」とうMCの言葉を信じてきた。馬鹿だと思う。自分の生活を考えたら、孤立しちゃーいけない。もっと大人として振る舞わないといけない。でも、引かなかった。信じようと思えるほど、若い原石だらけだったから…

大学院生と同じように研究に取り組んでくれ、データと向き合ってくれ…最後のカウントダウンで分かると思うが、毎晩夜遅くまで残って、研究を続けてくれた。卒論レベルじゃない学生がどんどん出てくる。負けじとみんながいい競争をしてくれ、でも心から助け合あった。そんな4年に恵まれて、本当に教育者として幸せだった。

今後どうしようと思って、あの打ち上げ以降、心が晴れない。自信が持てない。ずっと書かなきゃと思いつつ、書けなかった。ずっと晴れなかった。この環境を作るには、本当に自分が戦って、向き合って、鼓舞していかないといけないから。やり切れる自信がもてず、この数日ずっと心が晴れなかった。

でも、引いちゃーいけない。毎年、恥ずかしくても、あの涙を出せるよう向き合うこと。私は完璧じゃないから授業は下手だし、から回る。でもゼミで学生同士が切磋琢磨できる環境を作る。それだけは負けちゃーいけない、引いたらいけないんだ。”その向こうへ” 続けて行こう。

そう思えたのは、写真整理。カメラマンを任せていた内藤さんから卒論付近の写真を先週もらった。全部見てみて、引いたらいけないと思ったし、今後もいろいろあるかもしれないけど、向き合いながら切磋琢磨できるゼミの環境を整えたいと心から思った。それが、私が大学教員になれることが許された唯一の理由だと思うから。研究しながら、ゼミ生と一緒に研究する。そこで見えてくるもの。それを大切にしたい。

11月13日。ここから卒論カウントダウン。撮影のタイミングは帰るとき。学生の退校しなくちゃならない夜9時半あたり。何日か取り忘れたが、私がいない日でも学生で写真を撮っていた。4年生ゼミだけじゃなく、他のゼミ生や2、3年生の学生スタッフも写っている。学生がベストをつくしてもがいた証だし、私が幸せな時間を過ごした証でもある。

ここまでくると、推測されるが、今は巣鴨串キングで飲みながら、書いている。酔っぱらっているからこそ、言えて、そして、自分へ残さなきゃいけない気持ち。

4年生、ありがとう。このまんま、頑張るよ。そして毎年、緊張のほどけた涙を見せてやる!

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3、2、1日前はカメラマンが不在のため、あとそれどころじゃなくなり、写真撮り忘れ。最後に卒論提出直後でこのカウントダウンを締め。

Sotsu

最後の写真は、一昨年前。一番ピークにつらかった時。自分が大好きな写真じゃない。この写真を見ると怖くなる。3年生専門ゼミ説明会での最悪と言われるスピーチ直前。いい意味でも悪い意味でも、ここからのタイミング。ジェラトー二との対比。忘れないためにもプロフィールに変えようかなぁ。38年製L型ライカで確か福田さんが撮影者。ここからが、辛くても向き合った開始時期。頑張っていこう。

yami

 

 

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