機会の提供

断っていたのだが、いろいろあって、来月の新任の教員研修の一環で15分という短い時間の中ではあるが、自分の教育や実践方法を語ることになった。こういうことに関しては、真剣に悩んで、いろいろ重く考えがちなので、最近真剣に考えてみての結論。

私の方法なんて、教員としては相当逸脱した方法だと認識しているし、そもそも教育方法は正解なんぞものはないから、教育してなさそうな先生でも一線級の研究してたら尊敬するし、その研究能力が大学院教育に発揮されるということもざらにあるから、何がいい教育方法なのかは、答えはなく、多様でいいのではないかと。しかし、ここ数年、専門教育の教授という点では大学教員とは思えない人の流入が激しく、そういった人たちが大きな声で無節操に教育論を語れば、それが正義になる時代にもなってきた。 こうだ、こういう教育を、こういう視点を学生に学ばせる、~させるという言葉があふれ、アクティブラーニングに代表されるようにカタカナ教育論が全盛の中、私は河島英五のように?、でしゃばらず、うまくいった教育の成果を肴にひとり酒を飲むっていうことをしていたら、それこそ時代遅れなんだけど、そうありたいとも思ったりする。やっぱり私はデリカシーなく、教育論を語るつもりはないなぁと。

でも引き受けた理由は、苦悩を共有して、それぞれの方法で模索している先生たちと切磋琢磨していきたいと思ったからだ。教育には正解がないと思いつつ、でも、特に近年の言葉遊びではないかと思えるぐらい、上辺をうまくみせるのみが大切な大学教育の中で、ずっと感じていた強い違和感の正体。それは、学生に~させたい、とはうぬぼれなんだと思う。学生の定義があいまいで、すべての学生に~させる、学ばせる、できるようにするって本当に思っているのかなぁと。

そういう学生の定義があいまいなまま、つまり、一様に学生を抽象的捉えたうえでそういったラインを決めることへの違和感。もし定められたラインに達しない学生は進級させず、その結果学生が退学という選択肢を選んでもいいという経営判断があるなら別だけど、日本の大学は、アメリカの大学等とは異なり、入学できる人数が厳しく定められ管理されているので、どんな学生も退学させず、4年間学費を払ってもらうことを前提とした大学経営となる。そういった状況の中で、責任をもって学生と向き合って教育できるのは、所属する学科やコースだし、卒論を担当する教員にあると思う。たとえば、教養教育で理想や理念を語ることはいいが、それを実現する際に曖昧に適当にカリキュラムを組んだら行けないと思う。声を大にしていうと、学科の教員は清濁併せのみながら、伸ばせる学生を最大限伸ばし、危ない学生をなんとか卒業できるように時間を重ねており、想像以上の時間をがけて、学科で共有しているんだ。そういうことは伝わっていると思っていたけど、そうじゃないんだとも分かった今。

だから、私は15分で教員の苦悩を伝えられたらなぁと思う。家庭人、研究者、教育者、学科の運営、学会での役割…という多様な役割の中で、卒論生を十何人と抱えた教員は、教育的な苦悩を抱えていて、でも苦悩ばかりでもなく、教員冥利につきる幸せ事もあるから、その苦悩を黙っているだけで…そう幸せがいっぱいあるから…

そういう各教員の幸せと苦労の両面があることを、わたしなりの言葉で新任の教員にぶつけることが大切なのではないかと思い、引き受けました。まぁ、姉さんの訴えには弱いんだけど…めちゃめちゃ幸せなこともあるし、めちゃめちゃ苦悩を深めることがあって、その両面を私らしく。

何より、私が一番伝えたいとのはと思った時、浮かんだ言葉は「機会の提供」。これまで、大正大学に来て8年間、数えきれないぐらい多様な失敗もした。対学科、対I類、対学生…もろもろ失敗し続けても、全員の学生ではなく、伸びたい、成長したい、切磋琢磨したいと思う学生に対して、正課授業を超えて機会を提供しようとあがいてきた。その理由はシンプル。原石がいっぱいいるから。伸びる”学生”がいっぱいいたから。一様に学生全員ではない。最低保証的な意味合いではなく、苦労してでも成長したいという資質を備えた、一部の学生なのだ。私とは違う観点で教育している先生も多くいて、何が言いたいかというと、選択肢を提供し、学生が自分の目的のために、取捨選択していけばいいと思っている。

時代は流れ、原石だらけだった昔を懐古しちゃうけど(近頃は難しいなぁ…)、懐古する自分を肯定しつつ、何度も何度も未来の萌芽を信じて前を向けるか。私はbachoの音楽があるので、戦い前を向ける。15分、bachoの動画をながしつつ、語ろうかなぁ^^;

私がこの大学に来た当初、当時教務部長だった平盛事務局長が紡いでくれた同じ大学教員や職員とのFacebookの輪。頻繁に利用する教員も職員も減ってきたけど、他学科の素敵に”もがいている”先輩や後輩の教職員の存在を知った。この大学にはいっぱいい苦悩する教員も、原石のような学生もいっぱいいるよ、と伝えることが、今回の私の使命なんだと思う。私はそのラインで先頭を走っているつもりはないが、そこだけは負けたくないと思って、いっぱい時間を使う。その積み重ねの話をできればと思う。

機会の提供…と偉そうに言うけど、学生からも提供が返されて、もちつもたれつ。卒業後もずっともちつもたれつになるためにはどうすればいいんだろう。

でも後輩フォローお願いと頼んだら、仕事の休日に大学に顔を出してくれるOBOG。提供じゃないんだよね。でも、学生を信じて提供して、それを選んだ学生がどれだけ伸びていくか。原石が輝くか。うまくいっていなくても、そういった勝負を重ねていることを、15分にまとめたいなぁ。

今日はOBのコバに助けてもらいました。あざっす。「どん」で焼き鳥とホッピー!コバの最新のスマホゆえ、鮮やかな色合い。