四十にして惑わず…45歳になって思うこと

もう6年前になる。40歳の誕生日に、上田菅平高原で、一期生のゼミ生たちに誕生日をサプライズで祝ってもらい、自分が教員として向かいたい方向などを論語の一節をお借りして心情を吐露した。41、42、43の誕生日にも続けていたが、さっき確認したら昨年の44の時は語っていない。

その理由もわかっている。教育と研究と学務といった仕事の時間と家族の時間の配分が難しく、両方とも中途半端にならないようにギリギリのところを彷徨っていて、振り返ったり、自分に言い聞かせたり、それをまとめる精神的な余裕もなく日々を過ごしていたから。

今も正直なところ、40歳の頃のような、熱くこみ上げてくるもの…そういうものがなくなってきたのかもしれない。

ただ、経験というものが付いてきたから、ゼミの運営にしても、うまく学生が切磋琢磨しながら自分たちで成長していくような方法論を身につけてきたと思える。そこは自分を褒めないと満足しないといけないんだけど…側から環境を整えて良し良しって一人で納得していく年齢だったり、役割なんだろうと思うけど…モヤモヤしていて、やったー!というポジティブなもの、最初の言葉をつかうと、熱くこみ上げてくるものがなく、このままでいいんだろうかと自問することが多い。

45にして思うこと。まだまだ惑いまくって、チャレンジしていくこと。簡単そうで難しい。経験がでてきたから小手先でごまかしてしまう。自問してモヤモヤしてしまう。

学生と一線引いた立場じゃなく、一緒に惑いまくっていくことに、自分らしさがあるのだと思うし、その自分らしさを貫こうとしたら、非難も受けるだろうし、干されたりすることもあるんだろうけど、この満たされない感じは嫌だ。研究では味わうことができなかった喜びを、教育のなかで、卒業したゼミ生からいっぱいもらえてきて今があるんだから。

一から出直します。で、与えられたチャンスを、私らしくチャレンジしていくこと。そして、いっぱい惑いまくって、愚痴りまくって、でも信じたことを貫く。そういう一年にする!

ここ数年何度もこういうことを言っているから、私のダイエット宣言と同じぐらいの、またですか感があるのはわかっているんだけど、しつこく私は諦めないぞと自分にも言い聞かせて、コミットメントしている。

最後に…今の四年生も三年生のゼミ生も素直で、可能性を秘めた学生です。四年生が伝えてくれたのかなぁ。合同の懇親会で昨日お祝いをもらいました。美味しくいただきます。ハッピーバースデーを歌ってもらうと照れますね。ありがとう。

余裕のなさの現れかもですが、非常勤の上田に向かう新幹線の中で、気持ちをまとめたため、言いたいことの半分も書けてないけど、時間管理も課題なので、残りの半分はまたの機会に。