
この職業に加え、自分のスタイル。自分勝手だけど、年齢を忘れてしまう。10歳ぐらい離れた後輩もほぼ同い年と思う。関西弁でいうと”おない”。実際に10歳離れてようが20歳離れてようが”おない”と思っていしまう。今日誕生日の後輩の年齢を見て驚き。私と12歳離れた若さ。3つぐらいの差だと思っていた。彼女の貫録がそうさせるのか、自分の不甲斐なさゆえか。。。ただ、ここ20年、何も気持ち的に変わってない部分がいっぱいある。いいことなのか、致命的なことなのか。判断がつかぬ。。。後厄を迎える年齢にも関わらず、20才のままでいる部分。病的なのだろう…ただ、今の環境が私を悪化させているのかもしれない。
今日は成人の日。現役の大学2年生が成人を迎える。本当におめでとうと言う気持ちだ。私の成人式はどうだったのかと思い返すと、愛知県の大学で、成人式のために帰省しなかった友人と飲んでいた。試験が近いという理由で、大阪に戻らなかった。成人式そのものを冷ややかに見ていたのかもしれない。今思うと、とてもネガティブで、病みさえ抱えた20歳であったのかもしれぬ。卒業式にも出ていない。今の2年生である20歳の学生に、大人ぶっていろいろ偉そうに語ったり、説教じみたことを言ったりもしているが、当時の20歳の私がここに立ったのなら、きっと笑われているだろう。避けられているかもしない、と今日しみじみ思う。嫌な奴だっとも思う。しかし、自分に対して必死だった。恋愛に対して必死だった。人生に対して必死だった。このころ、自分の膿みたいなダメ部分を見つめることが出来たから、今があると思う。
ただ、20歳の時に、福祉大にいて、様々な友人に刺激を受けたり、支えてくれたりしたことは自分にとって本当にかけがえのない財産だと思っている。そのような友は今はそれぞれの道を歩んでいる。Facebookで連絡を取り合える友人のほうがわずか。何をしているんだろう?と思うことも多い。ただ、私はご縁で20歳前後の学生と直面する生業に従事しているから、特にそう思うのかもしれない。
一昨日から3日間、東京未来大での、通信制の非常勤講師のお仕事。受講生は少なかったけど、今年も魅力的な社会人学生と議論を重ねることができ、あっと言う間に時間が流れた。ご褒美と称して、いつもの串キングで日本酒を飲みながら、21年前に思いを馳せる。
病気のままでいいとも思いはじめた。自分の年齢を忘れてしまうという病気。何もしなくなるより、時代に反しても、青臭く自分らしく、20歳前後の若葉たちと直面していく。20才の時に、あの大学で、かけがえのない人々との出会いがあった。そこから治癒していない…といことにしよう。成人式に1人ご褒美と称して飲むから悪い。たちの悪い久々の投稿でした。今年もよろしくお願いします。
20歳の成人の2年生。おめでとう。