残り1週間で気づいたこと

今日は12月8日。来週で卒論の締め切りとなる。だけど,大学ではオープンキャンパスがあった。PCルームを4年生に開放してもよいことになり,数名の学生が大学に来て卒論に取り組んでいた。今日は最後まで3人。あと1週間だけど全力でもがいてほしいし,並走していかなきゃ。ラスト8日。

今日の収穫はさまざま。オープンキャンパスの個別相談の時に同僚の先生と話ていて,刺激をもらったというか,自分の立ち位置を再認識させられたというか…とてもいい時間でした。彼の近況の大活躍に刺激を受けまくりでしたが,私の昔話を語ったり,で,同じ子育てパパとして話を共有したり。なによりも,いろいろ話していて,やっぱり自分のふがいなさに焦点が向いてしまうことばかり。子どもが生まれて,時間がないことは事実であって,パパ業として帰る時間も昔のように10時を超えてということができなくなった。学生といる時間も,様々フォローする時間も,無駄話する時間もなくなっている。でも,それを言い訳にして,自分から距離を取ってしまっていることも気づき始めていて,このままじゃダメだなぁと思ったり。機会を作ることにも躊躇していて,自分らしくいられないことにイライラしたり。

ここのブログで上手くいったことも当然伝えたいけど,上手くいかないことも苦悩も恥ずかしがらず吐露できることが私の強みでもあったのに,それすらも最近は途絶えてしまっていた。サイトを再構築して,ここは検索にひっからないブログにしたので,見たい人しか見ないブログに。写真も使いながら昔みたいに,いろいろな想いを共有できる場所となるように,がんばらなきゃね。

もう一つ重要な点に気づかされたのは,オープンキャンパス後にあった斎藤先生の一言かなぁ。斎藤先生は今日鴨台カフェで地域貢献のイベントを手掛けており,イベントを仕切る学生も多くいた。サービスラーニングの授業で学生を育てており活気があった。大学での立場が流動する斎藤先生なので,南三陸から帰ってきた12月の斎藤先生の居場所(研究室)を聞きに行った。彼の口からでてきたのは,学生が寄りやすい場所を求めて研究室の場所を変えたと。広さではなく,学生のアクセスの良さ。学生と一緒に様々な企画を実施ている彼らしい一言。でも私にはドキッとした一言だった。

この点も忘れかかっていたなぁ。何を思われてもいいと,私の研究室を開放して,ゼミの学生や学生スタッフが私の研究空を気軽に出入りしていたし,よく食事もした。だけど,最近はそういうこともめっきり減っていたし,寄りやすさっていう観点は減っていたなと。残ってほしいから居場所を作ろうっていう感覚。忘れていたのかもしれない。

あと8日間でどれだけ,昔の自分に戻れるかわからないけど,時間のなさよりも,自分の気持ち。

卒論という過程を通じて,自分と向き合うこと,ゼミ生と切磋琢磨して,競い合って助け合うこと。そこにある大切なものを伝えることが私の教員としての存在理由。

とある大学紹介のサイトで人科の紹介のところに,気が狂ったように卒論で追い込むゼミがあるみたいなことが書かれていて,ガラスのハートである私は気にしてしまっていた。外から見たらそういう風に見えるんだろうし,分かってくれる卒業生がいればいいと思っているけど,ひっかかってもいた。でも,ボロクソ言われてなんぼって思わなきゃ,伝えきれないほうがつらいことなんだと,今年の卒論を指導していて思う。

私らしさを8日前に再認識して,あと1週間自分らしくぶつかっていきます。3年前の1期生の同じ8日前。夜10時ごろにいつもの写真撮影。一番しんどい時期だけど,ゼミ生で笑って支えあう。そうなるようにフォローするのが私の仕事なんだと自戒を込めてこの1枚を載せることに。