
大学のホームページが一新されるために、教員の写真が求められた。私は写真を撮る。いい学生の表情を撮影したいと気合を入れる。ただ、自分が撮られることはほとんどない。たまに誰かのカメラに写っていることがあるが、ほとんど”引退した力士”。この前、寝不足で日が眩しくサングラスをかけて大学に行きました。大学エレベータに映った自身のグラサン姿の私をみて思わず、アジア系観光客!昨年の心理合宿の写真も、わんぱく小僧のよう。自分自信は一張羅のTシャツでオシャレしているつもりだけど、はち切れているよと我ながら思う。
学生と写った写真を1週間前に何枚か提出したが、誰が教員かわからないのと学生の顔が写っているという理由で教務から拒否されました。一人で写っている写真なんてないよ。探してみようということで、いつもの一人居酒屋の串キング(巣鴨)でPCで写真を探していました。いいなぁと思ったのは福田さんが撮ってくれた2枚の写真。大学のHPの紹介の写真でピースしていたり、ジェラトーニー抱えているのも問題かなぁ、と悩む。
では私らしい写真なんだろう。授業しているふりを撮ってもらう方がいいのかなぁ。昨年に関しては、私はこの写真。1年間本気で苦しんでSAや初年次教育に向き合ったから、その最終週にSAというより、様々な批判を覚悟を受ける覚悟でいうと、一緒に授業を取り組んでくれた友との写真かなぁ。許可あるからこの写真が俺だと言い切っても、こだわってもいいかもしれない。他の人から見たら、女子学生とピースしたご機嫌写真じゃんと思われるかもしれないけど、学生の5人の笑顔にも、裏に1年間の本当に大変苦労があって、彼女たち同士が支え合って乗り超えることができたからの笑顔で、私も1年間をやりきった安堵の笑顔でもあって、そういうのは伝わらんのだろうな。単純に、理系の敵!と言われる写真かもしれないけど、去年の私が写っている写真を全部探したけど、これが、私なんだと思うんだ。理解されないし、却下されるから、あえてここで。
いろいろ写真を探しながら、去年の私を振り返った。今日はしんどい日で、旧友の声を聴いて助かったと思うぐらい、うまく自分をコントロールできていなかった。橋本君、付き合ってくれてありがとう。
さまざま写真を見て、がんばれ自分と思った。自分の写真に写ってくれたみんなの笑顔は、研究を頑張って発表したり、実験したり、学科を代表してオープンキャンパスで成長したり等と、しんどい環境だけど学生の表情に充実感にあふれている。今日の昼休みは、今年の基礎技法Aの最後の教員3名とSA3名のミーティングだった。去年と異なり、私らしさは出せない基礎技法だったと思う。今年のSAに対して、ほんとにこのSAの機会が成長できる機会だっただろうと思えない自分もいる。もっともっと機会があればもっともっと輝いたのにと、自分の調整能力を悔やむし、もっとと思う。
原石という表現は伝わらないのかもしれない。表に出ないけど、ちょっとのきっかけで輝く原石だらけなんだけど、自分が至らない。悔しい。情けない。そう思いながら7時から11時まで刈穂という秋田のお酒を重ねてきた。ストレスを他の人にぶつけてるんじゃないかと思うこともあったし、学生主体を他の人に押し付けようとしたり。。。焦るなと思う。もうだめだと思っちゃだめだ。写真を探しながら、去年の自分を見て思うことがあった。
笑顔を撮り続けたい。大変だけど、頑張って支え合って切磋琢磨するから出る笑顔。だめな研究者であっていい。だめな教員と言われていい。どうしていけばいいか分からないし、答えはないけど、自分の写真を探す中で思ったこと。こんな笑顔に囲まれているんだ。そんな笑顔がでる環境を作らないといけないんだ。
明日はゼミ。今日は一人で飲んでよく自分と語った。ここで飲むと一人でPCしながら、刈穂をずっと飲みながら、ゆっくり時間を過ごせる。周囲は満員。でもこんな空気読めないお客を受け入れてくれる、串キング。店長感謝。相当酔っぱらいましたが、明日から頑張れそう。酔っぱらい投稿でした。